ドローンが撮影した昭和基地の様子(1:22)
★1955年7月 時の頃は終戦から10年。
①敗戦した日本は焼け野原からの経済復興を目指すといった状況下で、
②南極における国際観測計画(1957年~1958年)に日本案を提出し、
③日本も参加したいと意思表明する。
④パリにて第1回南極会議が行われる。(このときの会議は日本は不参加だったそうです)
★1955年9月8日 ベルギーブリュッセルにて第2回南極会議が行われる。
①南極の国際観測計画(1957年~1958年)に日本の参加が承認される。
②第2回会議には5名の日本代表団(国際地球観測年研究連絡委員会)が参加されたとのこと。
国際観測計画へ日本の参加が承認されたときに、
基地をプリンス・ハラルド海岸(南極)に設置するようにと勧告されたという。
★1957年1月20日
①南極リュツオ・ホルム湾に南極観測船「宗谷」が到達。
②南極会議で勧告があった場所を小型機「さち風」にて偵察。
③基地の設計ポイントを下見するも、
④断崖につき上陸は困難といった現実に直面する。
その場所が上陸不可というのは、2回目のブリュッセル会議の時点で
他国の人は分かっていたけど、日本人は知らなかったみたいです。
すでに米国の調査で「接岸不能」と報告がなされた場所だったようで。。
どうしてそのような場所を国際的な会議でオススメされたんだか。
戦中の「欲しがりません勝つまでは」の
貧困な日本のことを海外の人たちは知っていたのか知らんけど
「そもそも貧乏な日本ができるわけない」とか思われちゃってて
日本が南極行きを辞退することを見込んでの
承認と場所のオススメだったのか?
当時の他国の人たちがそこまでするほど日本は醜かったの???
他国の人たちはそこまでヒマこいてたのー?
基地を設置できない場所をわざわざオススメされた理由までは
本には書いてありませんでした。
で、小型機で偵察した結論としては
南極海に浮かぶ「オングル島」には基地建設の希望があると。
オングル島は南極大陸ではないけども、大陸とは氷で繋がっているので
行き来するには問題ないといったことで、
オングルに基地を設置することにしたようです。