once again

日記ブログです。ヤフーブログから引越ししてきました。

第一次越冬隊員 北村泰一さん(犬係り)という方 ◆動画あり◆

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今回は上の内容の続きです。(しかも長文です)

 

昔の本は、本にでてくる主人公が

①主人公が自分で直接見たもの、

②主人公が自分で直接聞いたもの(噂話を含む)

 

に対して

 

③主人公が何を感じて何を考えたのか、

④それだから主人公はどういう行動をとったのか

⑤また、主人公がどのような発言をしたのか

⑥それらによってどういう展開になっていったのか

 

が骨組みになっている文章が多かったと感じます。

 

で、それを読んで、

読んだ人がどう思ったのか?というのが

小中学の頃に書かされた読書感想文とやらで

これが、原稿用紙の枚数の指定があったり

子供ながらに(一応は)「他人の目」を気にしながら

書いたりして、まあなかなか面白くて

 

学校の先生にしてみても、

本を読むと自分以外の他人の人生を知ることができるとか

10冊読めば、10人の人生を体験したことになるとか

だいたいどの先生もそう言っていたりもあって

まあまあそれも面白かったのですが

 

近年のハヤリの本とか人気がある文章となると

①~⑥が昔ほど感じ取れないものが多いと思う。

上目線で断定できるほど

膨大に読んできたわけではありませんが

 

なんというか、今ウケするハヤリの書き方だと

例えば、(あくまでも空想上の、仮のたとえ話として!)

 

「あま~いサツマイモを食べたかったので

お砂糖を沢山いれて作りました。

とっても美味しかったです。」とかいう感じ?

 

で、これをみた人々は

丁寧で美しい!まねしたい!おいしそう!

素敵できちんとした人物を想像する!

という感じでまあまあ膨大なイイネ!が

付いちゃったりするわけです。

 

違和感がすごくある。

 

サツマイモの甘味を引き出したかったら

塩を使うといいと言われています。

 

でも砂糖をたくさん入れたと。

そこで塩のことをいってしまうと

膨大なイイネ!の人たちや本人から

反感買ったり恨みを買ったり

 

しつこく批判してくる人が出てきたりとか、

もしくはガン無視されるとか

致命的な大きなヒンシュクを買うとか、

の傾向が発生するので(ほぼ、おそらく。笑)

 

今の時代においては、ただしいことを

そのタイミングで教えてあげる人は少ないですよね。

私も多分わざわざ教えないと思います。

そういう状況では正しい意見が

「悪」とみなされる展開になることが多いから。

(SNSとかだとね)

 

以上はあくまでも、たとえ話ですけど

「今ハヤリの書き方」の感覚は、そういう感じがする。

 

『その犬の名を誰も知らない』の本も

もれなく今風の書き方をしているので、

せっかくの内容なのに、

途中、読まなくなったページがあります。。

 

 

本に関する私の疑問は以下の2点。

⇓   ⇓   ⇓

 

まず1点め。

北村さん(犬係り)は研究者とのことですが 

①自身で研究した内容が闇に葬られてご自身が忘れた頃に

誰か他人の手柄として公開されたりとか

 

②仲間だと気を許していた相手となんとなく雑談したときに

なんとなく言った研究関連の内容をパクられて

パクった人の独自の思想として世界中に公表されたりとか

 

③誰かの研究を手伝って自分の名前も本に載るはずだったのに

(オールカラーの専門的な図鑑みたいな本とかに)

完成した本をみたら自分の名前がどこにもなく

いいように利用されたことが発覚した、とか

 

そういったできごとは、一回もなかったのでしょうか??

(87歳という長い人生の中で!)

 

で、2点目。

「第3の犬」の亡骸がみつかったときに

「なぜ、報道されなかったのか?」の問いがでてきます。

 

報道側からしてみたらオイシイネタだと思って、

飛びつかないわけがないと私は思うのです。

幅広い年代に対して話題性も高く保てるでしょうし。

Ⓐそれがなぜ当時なかったのか。

 

第9次隊の方々に

「第3の犬」をみつけた状況を聞きとりするにしても

各自の証言があいまい、証言に統一感がイマイチない。

でも、曖昧にぼやかしている点は全体的に統一してる。

(なんとなく様子がおかしい。)

 

Ⓑ犬の亡骸のことは口外してはならないと

誰かに(国とか?)強く釘を刺されて、

釘を刺されたことも口外するなと

強く言われていたのかな?

と想像してしまうような変な様子。

 

1点めは私の想像を含む読者目線の疑問であって

そういうことがあったのか、なかったのか、

書いてあれば北村さんの人物史を知ることができるし、

あー、だからそうだったのですね

という感じの共感と理解が生まれたりして

読みごたえがあって面白かったのに、というのがあります。

 

しかしそれを書いてしまうと、どこの誰がそれをやったのかが

分かる人には分かってしまうので。。

「一般人であろうが学者であろうが、多かれ少なれ

生きていればそういう目に人はあうものである」、とかの

分かりやすい言い方の遠回しな書き方があっても良かったと思う。

(昔の村上春樹っぽい感じの書き方です)

 

ちなみに、嘉悦洋さんの人生にはそういうことがあったみたいです。

*私にもありますが、長文になりすぎるので割愛します。

 

2点めのことは、そのことについての

「書き手側の」「ごく個人的な」「ただの感想」

すら書くことさえも

ためらいがちな空気感を含んでいて。。

 

報道しなかったことに理解ある風な感じで書いてあるけど

見方によってはなんとも曖昧。

実際の裏側にはどれだけの闇があって

どんな危険を感じながら本を出したのだろう?

と思ってしまう。

 

こういう内容の本で、

今風の書き方をすると逆効果になると思いました。

 

はっきりした言い方で書けないのでしたら

本を出さない方がよかったのに~。

最後の方の4分の1ぐらいの部分は

なんとなく斜め読みで読んでしまいました。

  

効果的な「塩」の部分がないとどこまでも平坦だし

抑揚がないと「考える」部分が大幅に減り

読んだ人の感想に個性が生まれることもないのでは?

(まあ、感想なんて求めているのかは知りませんが)

 

というわけで、 膨大な資料を取り寄せて

ものすごく手間がかかった本なのは理解できましたが

読み残しがある状態で本を手放そうと思ったという

途中経過もありました。(本はまだ捨てていません。)

 

で、テレビで紹介されたときの北村さん(犬係り)の

肉声コメントがこちらです。

⇓    ⇓    ⇓    ⇓    ⇓

youtu.be

「タロジロ奇跡の生還 知られざる南極物語」(2:21)

 2013/03/29に投稿された動画

 

第1次越冬隊で南極に行かれた当時は、

大学院生であり、北村さんが一番年下だったそうです。

 

本を読む限りでは、この方そのものに対しては

裏表のない風通しがよい印象をほんとに受けるので

越冬で体験した「社会」のことを

そのままずっと守って信じて

生きてこられたのだろうなと思ったりもします。

また、越冬隊に行かれたときは、ご本人が感じていた以上に、

一緒に南極に行かれた隊員の一人ひとりが素晴らしい方ばかりで

人の環境がほんとに良かったのだろうな~とかも思います。

 

で、第1次越冬隊が南極に行かれた時期は、

戦後10年(昭和30年前半)とのことですが。。

 

私が知りうる、戦中・戦後の様子は。。

★アルミとか鉄鍋は戦争のために持っていかれた

★米や野菜は兵隊が徴収、若い男手は戦場へ

★女子は工場で労働、親に代わって赤ん坊の世話

★勉強どころではない、貧乏、その日暮らし

★食べるものがろくにない、栄養失調

★病気になっても簡単に医者にみてもらえない

 

上記は 社会の教科書から受けた内容ですけどね。

実際の昭和30年前半の、一般的な人たちの生活が

どんなだったのかよく分からないけど

 

北村さんという方は、こういった時代背景の最中に、

大学まで行かれて、大学院にも進んで、

南極に行きたいからあちこち駆けずり回って手段を求めて

そのときの交通費とか宿泊費用とかは親御さんが出したのか

そこまでは分からないけど、想像するだけでも、

財力・愛情ともに豊かな中で生活されてきた方なのかなと。

  

しかも。

87歳を迎える前に(本には「現在87歳」と書いてある)

南極で一緒に暮らした犬のことを発信する機会を得て。。

 

元をたどると。。

①行きたかった南極にいって(しかも日本人初のオーロラ観測)

②行く手段として、興味がなかった犬のすばらしさを知って

③置きざりにしてきた犬のことで南極でけじめをつけることができて

④海外に研究留学もして

⑤生死のはざまをくぐり抜け とかとかあって、

 

こんなにたくさん

自分のことに集中できる時間を持てるなんて

北村さんという人は、ほんとに幸せな方だなと思う。

 

この場合の幸せに必要なものとは?

時間・金・健康、だな。

 

この場合、「人」はちょっと違う気がします。

「貧乏ひまなしで病気がちの人」が

大勢群がってきたとしたら、こうなったでしょうか?

もしくは北村さんご本人がそうだとしたら?

キレイごと抜きで想像してみてください。

(想像するだけなら誰しも自由です。)

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

 

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